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素敵な人

鈴木 吉明(すずき よしあき)さん
1950(昭和25年).8.28生

魚崎小学校施設開放運営委員会 会長
平成7年魚小施設開放委員会会長に就任

★施設開放委員会はどんな会ですか? 施設開放運営委員会とは休日や夜間の学校施設の管理を神戸市から委託されて、学校教育との調整を図りながら、学校施設(運動場、体育館、教室、図書室)を開放して、地域の方に身近な学校の施設を文化活動やスポーツ活動の場として利用するために登録している団体の施設利用の調整を行っています。

★施設開放委員会はどんなメンバーで運営されていますか?
昭和50年代に学校と地域の交流の場として施設開放委員会が開設され、当初はPTA公認のクラブ活動を中心に利用していましたが、阪神淡路大震災後の新校舎完成後、委員会の組織を一新し、学校と地域とのつながりが大切であるとの思いから、若い世代の人たちを巻き込んだ組織づくりをすることでさらに活発な活動が目指せるのではないかという思いで、学校施設を利用する登録団体のメンバーを加えて委員会が運営するようになりました。
現在11の登録団体で委員会が活発に行われています。

★これからの施設開放はどのようにしていきたいですか?
「多くの人が学校施設を利用することにより、地域の人の顔が見える魚崎町になってほしい」とおっしゃっていました。

★施設開放委員会としての活動には何がありますか?
毎月第1土曜日に施設利用調整・情報交換を目的に会議をしています。
また、8月には「せせらぎ清掃」、12月第1日曜日には、利用団体の家族も含めた、「交流餅つき大会」をしています。
各種クラブ部員同士が、知り合える唯一の場として例年盛り上がっています。

(2013.10.14)
廣瀬 聡(ひろせ さとる)さん
1966(昭和41年).2.20生

魚崎小学校FF会代表


魚崎FFの廣瀬代表にお話を伺いました

★魚崎FF会とは?
魚崎小学校の児童や卒業生の父親を中心に、地域のみなさまやPTAと協力し合いながら、愛する子どもたちや地域のために活動をしているおやじ達の集まりです。
「興味のある活動」に「参加できるときに参加」が前提の気軽に参加できるおやじ達の交流の場でもあります。

★年間行事は何をしていますか?
親子スポーツ大会の開催・市民救命士講習会・防災かまどベンチ作り・運動会、音楽会の駐輪・校内パトロール・オープンスクールの駐輪パトロール・5年生対象防災訓練の炊き出し・4年生対象火おこし教室・ペットボトルロケット教室など

★FF会への思いを聴かせてください
地域のため、子どものために興味をもったことを、みんなで楽しく活動している「おやじの背中」を、子どもたちが見て、何か感じてくれれば、と思っています。
お子さんの学年、小学校の在籍を問わず、興味のある方は、一緒に参加して頂きたいです。

魚崎FF会ホームページ http://uoshoff.web.fc2.com/

(2013.3.24)
清原 孝重(きよはら たかしげ)さん
1949(昭和24年).5.6生

3丁目自治会長
魚崎南ふれあいのまちづくり協議会委員長
魚崎町防災福祉コミュニティ副会長

魚崎町防災福祉コミュニティの清原副会長にお話を伺いました。

★防コミを始めるきっかけは?
阪神淡路大震災で学んだ「共に助け合い、励まし合うことの大切さ」を忘れず、震災での体験を次世代に語り伝え、地域防災、地域福祉の充実をはかり、安全で安心して暮らせる地域社会を地域の皆さんと一緒に作っていきたいと思ったことです。

★年間行事は何をしていますか?
魚崎地区住民避難訓練・防潮鉄扉閉鎖訓練・応急給水訓練・災害時要援護者避難訓練・魚崎小学校防災学習及び防災訓練があります。現在では、魚崎地区の各自治会でも地域活動と防コミの活動と結びつけて連携が深まって来ています。

★思うことは?
魚崎町がひとつになって防災を行う街づくり。
震度6弱のゆっくりした揺れを感じたら、国道2号線より北へ、90分以内に徒歩で避難すること。

(2012.10.02)
    
加治佐登史(かじさとし)さん

1951(昭和26年)5月生まれ
東灘交通安全協会魚崎支部員
魚崎北町3・1・5自治会副会長
魚崎北部民生委員
東灘交通安全協会支部員となって、20有余年、その時から、魚崎小学校へ登校する児童を見守ってこられました。
雨にも負けず暑さや寒さにも負けず小学校北側の交差点で毎日一日も休まず、安全を見守っています。
今では小学生のアイドルと自負しています。
毎朝の習慣で子どもたちと顔見知りになることで、地域で出会っても子供たちの知ってるオジサンということで親も安心して下さるとよろこんでおられました。
また、学校前交差点でドライバーの方から缶コーヒーのプレゼントがあったり。
これからも青少年育成に協力して地域活性化につながるよう、住みやすい安全なまちづくりにしていきたいと抱負を語っていただきました。

(2011.11.1)


粉谷 勝巳(こたに かつみ) さん

1940(昭和15年).5.12生
魚崎町協議会副会長事務局長
東灘交通安全協会魚崎支部長

昭和48年に東灘交通安全協会に入会して37年間地域の安全を見守ってきました。
毎月1日・15日は小学校前に立ち、登校時の子どもの安全を見守ってくださっています。
また、毎年9月頃に高齢者を対象として秋の交通安全教室を開催されています。
(北は横屋会館、南は魚崎会館です)
12月には、小学校登校時の子どもたちに、冬休みの交通安全を促す意味を込めて「サンタの交通安全指導」を行っています。
2月には、サンテレビで反射材の検証など取材記録が放映されるそうです。
(魚崎支部員の皆さんが参加されています。)
粉谷さんの願いは・・・「犯罪のない町、安全な町になってほしい。そのためには地域の皆さんの協力をお願いします。」
現在、魚崎支部員は7名。支部員の募集をしています。
地域の安全を一緒に見守りましょう

(2010.12.17)
ワーフ・チェロ・カルテット

1998年の第1回1000人のチェロコンサートで、新たな出会いや、再会があり、気の合う4人の仲間で結成しました。以来、地域や団体の集会、親の行く先々の高齢者施設、病院などで演奏しています。
既成の楽譜だけでは物足らず、自分たちの弾いてみたい曲をメンバー自ら編曲しています。
今もメンバーのだれかが、段階の差はあれ、老いてゆく親たちと過ごしています。
したいことをできるときに、できる分だけのコンセプトでこの仲間で存分に楽しんでいます。
魚崎小学校のマナビイ事業では、メンバーやその仲間により児童たちがホンモノのチェロやバイオリンを弾いてみる催しや、無料のコンサートを開いています。

井上ほのか

(2010.5.8)


西村 あかり さん(魚崎小学校2年生)

4歳から糸東流五誓会・東灘支部で空手を習い始めました
県大会では3連覇中。
第9回全日本少年少女空手道選手権大会に出場が決まりました。
強さの秘訣は、お母さんに見守られながら毎日する練習を欠かさないこと。
昨年は、ベスト16に入りましたが、今年は、さらに上を目指して頑張ります。

(2009.5.20)
岡 勉 さん(魚崎財産区議長)

昭和2年12月12日生れ(80歳)です。
熊本県天草のご出身。現在魚崎西町にご在住です。
青少年育成協議会魚崎連合支部で支部長を10年間勤め、青少年の育成に尽力されました。
魚崎財産区議員を8期28年間勤め、現在、魚崎財産区議長に就任されています。
「祖先から引き継いだ貴重な財産を真に町民のために運用し、魚ア町の皆様がここの住民でよかった、ずっと住み続けたいと思ってもらえる町づくりに全力を尽くしたい」というコメントを頂きました。
普段は、魚ア南町6丁目にある東灘体育館内の喫茶「おか」を経営。体育館利用者の憩いの場となっています。
(2008.2.13)


森田 朝子さん

昭和8年3月2日生れ
雛壇飾りがあるお誕生日ってすてきですね。
山口県のご出身です。
魚崎婦人会の会長をされています。
平成13年に会長に就任されて、6年目になられます。
婦人会がされているデイサービス終了後、次の打ち合わせの最中でしたが、快くお話をしていただきました。
魚崎婦人会は、福祉活動、ファミリーサービス活動、消費者学級、バスツアー、サークル活動、エコ活動など多方面に活動していますよと詳細が書かれたパンフレットをいただき、目の回るようなお忙しさに、凛としてがんばっていらっしゃるお姿を見て敬服いたしました。婦人会の方々の結束を感じました。
10月には、公園ミーティングのあと、公園を愛する人たちが集まってグランドゴルフをするそうです。
今後は、若い人を育てていきたいですね。
子育てをしながら、地域のことにも興味を持って力を入れてほしいですねとおっしゃっていました。
(2007.9.28)
山路 久治郎さん

大正11年5月25日生れ(84歳)です。
魚崎に生まれ育った、生粋の魚ア人です。
自宅をお訪ねして懐かしい魚崎の風物をお聞かせ頂きました。
亡くなられたお父様の後を継ぎ、現在魚崎小学校の同窓会長をされております。在職40年の一番の思い出は、魚崎小学校創立100周年記念行事を盛大に開催したことだそうです。
遠近、新旧200名からの同窓生が集まり、歌手になった方の歌の披露もありました。
その後、全卒業生同窓会はプライバシーの保護などで連絡が取りにくく開催していませんが、山路さんの同窓生は今でも年に一度、集まっているそうです。
 そろそろ、次の同窓会長にバトンタッチしたいと切なる願いを訴えておられました。

河合 善造さん  70歳   灘中学校・高等学校校長

 ご自身も卒業生でいらっしゃり、神戸大学卒業後、神戸市の教員として教壇に立たれた後、昭和41年に母校にお戻りになられ、英語をご担当されていました。

 モットーとされているのは、「自他共生」。
学校の教育方針の1つでもある「自他共栄」の心を受け継いで、いろいろな意味での自分と他者(日本と世界、人と自然、学校と地域など)がお互いを尊重して生きていくのがこれからの時代に求められることだと思いますとのこと。

プライベートでは、2人のお孫さんのお祖父さんでもいらっしゃり、遊びにきたら、一緒に遊ばれるのだそうです。
松原 功さん

昭和10年8月19日生れ(70歳)です。
魚崎中町4丁目自治会長
魚崎町防災福祉コミニティー広報委員
広報活動を通じ、地震や津波など防災のお話を地域のかたがたに伝承しています。
また、ボランティア活動として、人と防災未来センターで展示解説を週2回しています。
★火曜日(午後)・木曜日(午前中)
機会があればお話をお聞きになってはいかがですか?

[一言]
 魚崎町は南海地震津波浸水地域に指定されているので、
津波対策については、地域のかたがたに十分、関心を強めてもらいたい。
永島 長一郎さん

 魚崎ふれあいまちづくり協議会委員長、魚崎北部地区民児協会長、魚崎プラザ代表、児童館、小学校運営委員 1933年に魚崎町に生まれ魚崎小学校を経て、現在に至っています。
 前任の多田委員長を助け、長い間代行を務められましたが多田委員長ご逝去のため、17年5月に満場一致で、 委員長に就任されました。
 教職のご経験から地域のゲストテイチャーとして、昔の魚崎町の話をなさる機会が多く、登下校の子供達から 「おっちゃん。 おっちゃん」と親しまれています。
 温厚なお人柄で、高齢者のお世話もお忙しそうです。
坂本 稔さん

川西豊友会のメンバーで、今年で70歳です。
ご趣味は細かい手作業がお好きで、作品を学校やデイサービスに届けて、喜んでもらっています。
魚崎小学校の今年初めての試みだった、夏休みの「居場所作り」では、昔の遊びを担当されて、豆粒のようなコマや、竹とんぼ、 広告の紙飛行機等色々作って、子供達をビックリさせました。やさしく作り方も教えてくださるので、大変人気がありました。
魚崎町協議会 室谷会長

魚崎町協議会会長の室谷会長をご紹介しましょう。
魚崎町協議会は、魚崎町にある各種団体長により構成して運営しています。
その会の会長になられて4年になられます。また、防災福祉コミュニイテイの委員長でもあり、阪神大震災には家業を忘れて、復興にご尽力されました。
 現在は南海大地震に備えて、弱者の避難訓練の計画を練っています。また、地域の歴史をよくご存知で、ゲストティチャーとして、語り部役もなさいます。
本業の牛乳販売業は早朝4:00からお仕事をして、防犯協会、少年補導、町内の安全、やさしい街づくりに心血を注いでいます。
仲和治さん(魚崎西町4丁目)

仲さんは、現在、魚崎南部地区の民生委員児童委員協議会の会長をはじめ、たくさんの地域の役職を務めておられます。
その活動範囲は、魚崎地域だけでなく、東灘区全体にまでおよび、とても多忙な毎日を送っています。
仲さんが地域の活動に関わるきっかけとなったのは、今から30年前、魚崎西町4丁目自治会の副会長になり、地域の子ども会づくりに取り組んだことだったそうです。
その後、間もなく民生委員の委嘱があり、以後、地域福祉活動を中心に尽力されています。
最近は、西町4丁目の老人会結成で中心的な役割を果たされ、イベントを通じた老人会と子ども会の交流が、結果として自治会全体の活動の活性化にもつながったそうです。
昭和2年生まれ、三重県伊勢の出身で、終戦後、お仕事の関係で魚崎に住まれるようになりました。
魚崎のまちについては、「みんなが協力してくれる、気心がわかるまち」と。
今後も、「みんなの幸せのためにはどうしたらいいのか」を考えながら、時代に応じたやり方を模索し、無理をせず、つらいことも楽しくできるような、ボランティア活動を盛り上げていきたいとのこと。
仲さんの多忙な日々はまだまだ続きそうです。
伊藤康子さん

大正5年のお生まれで87歳になられます。
伊藤さんは婦人会で俳画の先生をしておられます。
30年余りのお稽古のうち25年は俳句もお勉強して俳画の中に挿入しています。
平成7年の地震では足を怪我されて千里へ避難されましたが、魚崎にお帰りになられました。
ご不自由そうですが、「こうして生かされているのは、まだやることがあるからだと考えて、俳画教室を作った。」とそれは熱心にご指導されています。
うはらホールの展示室や総会の会場に展示すると、一段と立派で励みになります。
一年間の歩みとして「イロハかるた」を作り、その絵を48枚仕上げて下さいました。その一片をご紹介します。

俳画「イロハかるた」

西尾雅子さんは1910年9月のお生まれで、今年92歳になられます。
現在は、東灘区の遺族会魚崎分会長をなさっている方です。
終戦後未亡人になられ、3人のお子様をお育てになるのに、大変ご苦労されました。ご実家の高知県に戻られ、お仕事を探して、 社会福祉関係のお仕事に就き生計をたてました。
神戸には30年ごろお帰りになり、社会福祉や、未亡人会の設立に力をつぎ込み遮二無二お働きになりました。
現在はご趣味とボランティアに専念していらっしゃいます。
そのなかでも陶芸は全く素晴らしい大作が多く、斬新な感覚はプロ級です。
25年から魚崎清流窯をつくり、現在に至っています。お陰で、沢山の陶芸に興味のある方が、楽しんで焼いています。
西尾さんは、老人美術展には何回も入賞されましたが、その作品は目を見張るものがあります。
 ボランティアとして、サンライフ支援センターで利用者の方に折り紙を教えています。荷造りひもで、可愛いワンちゃんや、不要な紙で、えとのヒツジ。
ほほえましいものばかりです。
今は、「クラスメートはみんな死んで、居ないので、地域のお友達を大切にしています。」とさりげなく話されました。


西尾さんの作品

堅田 トミエ  85才  魚崎中町在住

震災の年に最愛の主人を亡くし、息子夫婦と同居している。
独りで居る時間が多くなってから、何か自分で出来るものは無いかと考えながら、手芸をしたり、工作をしたり、いつも何かを考え、作り出している。 作品の数は計り知れない。13人の曾孫へのプレゼントになったり、独り暮らしの友人への優しいプレゼントになったりと、たくさんの人を喜ばせた。

お金を使わずに、有るもので工夫すると言うのが、母の鉄則である。(娘談)



空き瓶にチラシなどで
レイアウト


はまぐりのお雛様
ぼんぼりもすべて手作り


古くなった衣類などをリフォームして作ったマット


チラシなどで
作った兜

坂本 巌美さん  83才  魚崎中町2丁目

会社を定年より少し長くお勤めになり、リタイヤなさいました。お好きなゴルフもやめられて、ひたすらお散歩をしていらっしゃいました。

そのうち、よそ様のお玄関のお花、公園の花壇のお花に魅せられて、夢中で写生をして、胡散臭がられたことも度々でした。 家では、メモ書きの画を仕上げて、色を塗る作業、後は図書館で図鑑と首っ引きで学名を調べ、添え書きをする。 一度、「公園管理に花壇は苗札を付けてください」との申し入れがあり、係りの方があわてました。

こうして素敵な画集が何冊も出来、とても男性の絵とは思えない繊細で、写実的な美しい物です。少しご紹介してみましょう。

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