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【第6回】旧魚崎町役場
今回は、いくつかの資料を参考にしながら、旧魚崎町役場(東灘区民センター小ホール)について書くことにしました。
旧魚崎町役場は、魚崎小学校の南側に建っている、エンジ色の建物です。『魚崎町誌』には、この建物について、1936年(昭和11年)に総工費118,696円69銭をかけて新築、翌年10月に落成式挙行と記されています。設計は清水栄二氏。この方は、1929年(昭和4年)11月に竣工した魚崎小学校の建築設計監督者でもあり、御影公会堂の設計にも携わった方のようです。

【旧魚崎町役場(東灘区民センター小ホール)】

この建物が建設された経緯について、『うはらの歴史再発見』には次のような話が掲載されていました。それは、この建物を建設しようとしていた当時、魚崎町の財政は厳しかったのだけれど、ちょうど御影町が立派な町役場を建てていて、いいものを作らないと格好がつかないということで、地元の酒造家が土地を提供するなどして建設したと伝え聞いている、という話です。
そこで、『東灘のあゆみ』で当時の状況をみてみると、1905年に阪神電車が大阪から三宮まで開通、1922年に住吉村、1924年に御影町、1927年に本山村、1929年に本庄村の役場がそれぞれ完成、1933年には御影公会堂が開館したとあります。また、『御影町誌』には、御影公会堂の建設にあたって、酒造家の嘉納治兵衛氏が多額の寄付をしたことも記されています。

【御影公会堂】

こうした当時の状況をふまえると、先の『うはらの歴史再発見』に掲載されていた「いいものを作らないと・・・」という話が、よりリアルに理解できるような気がします。
魚崎町役場の完成から14年後の1950年(昭和25年)、魚崎町は神戸市と合併します。合併後、この建物は、区役所魚崎出張所→東灘市民病院→中央市民病院東灘診療所→東灘文化センター→東灘区民センター小ホールと名称を変えてきたようですが、今も地域の人びとに利用され続けています。ちなみに、現在、東灘区の旧五ヶ町村のなかで役場の建物が残っているのは魚崎町のみなのだそうです。

参考文献

東灘復興記念事業委員会『区制50周年記念誌 東灘のあゆみ』平成12年3月
道谷卓編著『うはらの歴史再発見』平成12年4月
御影町編『御影町誌』昭和11年9月
魚崎町誌編纂委員会『魚崎町誌』昭和32年6月

第5回【灘の素麺(灘目素麺)】

第4回【日本で二番目のゴルフ場】

第3回【魚崎八幡宮】

第2回【村界の碑】

第1回【雀の松原】
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